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【カクヨム・作家インタビュー企画】 VS 鏡貴也先生

 

【カクヨム・作家インタビュー企画とは】

WEB小説投稿サイトという場所で小説を書いてみたいと思う人へと向けて、第一線で活躍する作家にインタビューを行い、どういうきっかけで小説を書き始めたのか、今現在はどのようなスタイルで執筆をしているのか、WEB小説というものに対してどのような思いを抱いているのか、などを語っていただきました。

 

今回お話を伺ったのは、ファンタジア文庫で『伝説の勇者の伝説』『いつか天魔の黒ウサギ』を執筆、またジャンプスクエア誌で『終わりのセラフ』(漫画原作)を手がけていらっしゃる鏡貴也先生です。小説、漫画原作、ゲームシナリオなど、多方面で活躍する鏡先生の原点、そしてWeb小説というジャンルをどのように見ていらっしゃるのか、たっぷりと話していただいてます。

 

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──まずは小説を書こうと思ったきっかけを教えてください。

 

鏡貴也(以下:鏡):地上げに巻き込まれて、自由に動けず家に閉じ込められてしまった時期があったんですよ。これは何か家に閉じこもってできる仕事を見つけないといけないぞ、ぐらいの状況で。

そんな環境でふとTVを見ていたら、シャ乱Qの歌が流れてきて。なんだこれ? って見ていたら始まったオープニングが凄い格好良くて驚いたんですよね。『魔術士オーフェン』のアニメだったわけですけど。

ただ、そのまま本編を見た記憶はなくて、あのオープニングテーマソング格好良かったな~ってだけで、原作を買って読んでみたんです。それで面白かった。巻末に富士見書房って書いてあるのを見て、作家という仕事に興味を持ったんですよね。

どうすれば作家になれるのか考えて、公募ガイドを買ったんですよ。

 

──当時は、新人賞をWebからメールで応募という時代ではなかったですよね。

 

鏡:確か1月だったと思うんですけど、ファミ通、電撃、スニーカー、富士見の新人賞が載っていたんですけど、締め切りが1月、3月、5月、8月だったかな。さすがに1月は無理だとファミ通は諦めたんですけど、まずは書いて、書いたら必ず送る。そういうルールを自分に課して1作書いてみたんですが、これがとんでもなく下手なものが出来上がっちゃった。まあでも選考する側はその道のプロじゃないですか。何かしらの煌きがあれば採用してくれるんじゃないかなって(笑)。だから送りました。それで2作目は、図書館なども利用して色々と調べながら書いてみようと思ったんですけど、やっぱり自分でみてひどいなって思うものが出来上がってしまった。それでも送りました。そして3作目も書き始めたわけですが、1作仕上げるごとに、見直して反省をするというのは必ず行っていて、もっと自分を出さなきゃ駄目だなって思ったんですよ。女の子が主人公の一人称という形を選んだのですが、自分の言葉で書くということをかなり意識したんですよね。それで公募ガイドに載っていた最後の締め切りだった富士見書房へと送って。そこで小説家になることを辞めました。

 

──活動終了ですか?

 

鏡:最後の作品を送った8月って、最初に作品を送った電撃の結果が出た時期でもあったんですよね。落ちてました。これは才能ないな、や~めたっと。何か違う仕事も探さないとなって感じで。と言いながら、僕の中で最初のきっかけが富士見書房だったというのがあったから、富士見書房に送ったやつは受かるんじゃないかなんて気持ちもあったんですよね、何故か。それでも小説を書くのは辞めてしまった。そうしたら、翌年の7月だったかな、富士見書房から受かりましたって電話がかかってきちゃって。初代担当になる方だったんですけど、もの凄い愛想の悪い電話で、この人が担当だけは嫌だなって思ったのをよく覚えてます(笑)。あとは、本当にまったく小説書いてなかったので、どうすればいいですかって聞いたら、「授賞式までだらだらしてていいよ」て言われて「え、そんなんでいいんですか?」って返したのもよく覚えてるなあ。

 

──鏡さん何歳の出来事だったのでしょうか。

 

鏡:20歳だったかな。いや、まだ19歳だったかも。

 

──『魔術士オーフェン』との出会いがきっかけだったということですが、それ以前にたくさん小説を読んだりはしていたのですか?

 

鏡:作家で、自分は他の作家と比べて読書家だったと胸を張って言える人はいないと思うので、言うほどは読んでなかったと答えていいですか?(笑) でも小学生のころは時代小説や戦記も好きで、『剣客商売』とか池波正太郎作品や藤沢周平作品とか。山岡荘八先生の織田信長とかも好きだったし、時代劇あるいは戦記ものをそれなりに読んでいたのは、ライトノベルを書く上で影響は受けてるのかなとも思います。

 

──自作に取り入れていた部分はあるという感じでしょうか。

 

鏡:『伝説の勇者の伝説(以下:伝勇伝)』はメインコンセプトに親子ものという部分もあるんですが、アイデンティティの作り方っていうのかな、伝勇伝を作る際において『剣客商売』の秋山小兵衛と大治郎の関係などに思うところはちょっとだけありましたね。(といっても父親が出てくるのは何巻も進んでからですが)ただ、自作に取り入れるというか、影響を受けるという意味では映画と漫画の存在が大きいですね。特に映画は中学・高校の時代だけでも4000本は観ているぐらい好きなので。ゴッドファーザーなんかは映画版・小説版のどちらも好きで、過去の企画で影響を受けた本を聞かれた時にも答えたりしていますね。

 

──ジャンルとしての好みはありましたか?

 

鏡:映画はオールジャンルです。とにかく大量に見たので。あとは本当に、幼稚園ぐらいのころから、戦隊ヒーローものとともに、時代劇は好きでした。『大岡越前』とかTVドラマもよく見ていました。刑事ドラマとかも好きでしたよ。後はホラー小説かな。漫画は面白ければなんでもだったかなあ。『美味しんぼ』とか60巻を60回は読み返したんじゃないかな(笑)。『シティーハンター』も何十回も読んだし、『ジョジョ』や『寄生獣』も、小学校の低学年の頃から読んで、何度も何度も読みました。そんな風に好きな漫画は何度も読み返すんですけど、一度読んだ小説って読み返したことはないかもしれない。何でだろう、不思議ですね。

 

──意外ですね。

 

鏡:あ、ごめんなさい嘘つきました。小学生の時好きだったと言った織田信長の本、4回ぐらい読み返してました。ゴッドファーザーも。全然うそついてるや(笑)

 

──小説の作り方についてお聞きします。新作や新シリーズをはじめる際に、プロットは作りますか?

 

鏡:まずやりたいことがあって、それに対してのプロトタイプのようなものを何回か書きます。やりたいことが一番映える主人公は誰だろうという風に書いていって、その主人公がどんな風に生まれ、何を感じ、どう生きようとしているのか。そういったものがメイン軸として出来上がってきます。そうしたら同じ世界観の中で、どのように生きるのかをしっかりと抱えているキャラクターを何人か主人公の周りに用意する。それで出来上がってくるものがプロット……なんでしょうけど、結果として無視することは多いですね。キャラクターたちが自然と盛り上がっていく方向、発するその言葉に嘘がないことを大事にしていると、キャラクターたちが本当の世界を作り始めるので。帰結点、最終的にこうなるだろうという部分や時代背景などは上手いこと器用に着地できたりもするのですが、最初に頭の中で出来上がったプロットって言ってしまえば、作者の自慰行為みたいなものなんですよね。そのプロット通りに書くことにこだわってしまうと、キャラクターの言葉が嘘くさくなったり、立ち居地そのものを変える必要が出来てしまったりする。そういう意味ではがっちりプロットを組んで書いた時ほど書くスピードが遅くなって難航したりしますね。これは自分の会社でも、それ以外の場所でもよく言っていることなんですけど「人が、人に届ける、人の物語」しか人は興味がないと思っているんですよね。人間が書ければ興味を持ってもらえないことはない、とも思っています。

 

──凄く深い、良い言葉ですね。

 

鏡:そういう意味では、媚びすぎる必要もないとも思っています。人間を書くということは、読み手が人間であるという気持ちにもつながっているので。受け手が許容範囲外なものを書いている時点で、それは人間が書けていないんですよね。人を書く。それを人が受け止める。そこに対して真摯に向き合っているだけで、それは読み手を意識してその好みに合わせるといったものとは違うものなんですよね。ただ、僕はライトノベル業界では異端だろうなあとも思ってるんですが。

 

──異端、ですか?

 

鏡:といいますか、人を人として書かないことに特化させたライトノベルが、実はけっこうたくさんあるという話ですね。僕はそれに対してあまり興味がなかった。僕自身が寂しがり屋だからだと思います。人を書くことで人とつながりたい思いがある。ガジェットでもジャンルでもなくて人を書きたい。人しか書きたくない。ガジェットよりも人しか書きたくないみたいなのって、ジャンル小説ではちょっとわがままというか、異端だった気がします。若かった!(笑)

 

──その人間を輝かせるための苦難であり設定であり装置なのであって、装置そのものを描きたいわけではないということでしょうか。

 

鏡:今回のテーマがWeb小説ということで思うのが『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』という作品ですね。タイトルの時点で受けているのがわかるわけですが、これっておそらく転生の部分は重要じゃないんですよね。無職が何とかして立ち上がる物語。これは利きますよ。上手いですよね。選んだ魅せ方としてファンタジー世界に転生というのはあるのでしょうけど、無職が立ち上がるという物語を読み手に届けたいという情熱が、著者にはあるんじゃないかと思う。それはマーケティングだけは届かない槍みたいなもので、そういうことなんだと思います。人が人に届ける想いみたいなものが繋がるというか。僕が書く小説も、結局は僕が欲しいものが書かれていると思うんです。世界にそうあって欲しいという想いみたいな。それは僕が読みたい小説という意味とは少し違っていて、だから僕の書く小説は、僕が望む人とのつながり方みたいなことが書いてあるんだと思います。

 

──小説を書いている時の孤独、という要素もありそうですね。

 

鏡:それはあるかもしれないですね。

 

──小説を離れたところでの趣味などはありますか。

 

鏡:それ、実はよく考えるんですよ。色々な趣味を持ってみるんですけど、どうも僕の中にある素質で比較してみて、物語を作るってことが一番上手いらしい。他人と比較してどうこうという意味ではなく、他のことではそこまで楽しめないんですよね。自転車や自動車を買って乗ってみるとか、飲み会で友達とわいわいやったりとか、そういった趣味が物語を作るよりも楽しいかと問われてしまうと、疑問に感じてしまう自分がいる。締め切りは辛い、仕事はしたくない、もう引退したい。そんなことを毎日のように言うんですけどね。でもそんな辛いのに締め切りたくさん入れてるのは自分で、好きだからそうしてるんじゃないかって。他にそんな風に頑張れている趣味って一つもないわけで、つまりこれは小説を書く、物語を作ることがもう趣味なんじゃないかって。趣味の最高峰ですよね。「好きこそ物の上手なれ」でないと生きていけない業界だとも思いますし。あ、でも映画は今でもたくさん観ているので、映画が趣味ってことでお願いします。

 

──でも、その映画鑑賞から自分の創作に取り入れてしまうことはある?

 

鏡:映画を観たら物語を作りたくなりますよね。すげーまじかよこれ、僕がやりたかったことだよ! みたいな(笑)。

 

──Web小説投稿サイトというものが、鏡さんのデビュー前に存在していたら書いていたと思いますか?

 

鏡:Web小説という意味では、僕がデビューした前後にもブームになったことはありましたよ。『いま、会いにゆきます』とか『Deep Love』とか。

 

──いわゆる携帯小説ブームですね。

 

鏡:携帯小説も流行りましたけど、それだけでなく個人が作ったホームページ上で発表する小説というのがかなりあって。それを僕たちはWeb小説と呼んでいたんですが、それらに対していい感情を持っていないライトノベル作家さんはけっこうな数いましたよ。それはもしかしたら一般文芸の作家さんが、ライトノベルブームの時にライトノベル作家さんに対して抱いていた感情と似てるかもしれないですね。僕なんかは、ドラゴンマガジンの存在を知らないままドラゴンマガジンでの連載が決定したような人間で、デビュー時のコメントも「漫画と戦える小説が書きたい」だったくらいですから、割と面白ければ何でもいいじゃん派で、Web小説受けてると聞いたときも、そういう人との繋がり方もあるんだーやってみたいなーと思ったんですが(笑)でもジャンルが確立されていたりすると、どうしても何というか、新しいものや形が違うものに対する悪印象というものは出てきてしまうんだと思います。

 

──現在のWeb小説に対する印象はどうですか。

 

鏡:そういった変遷から見るなら成熟してきているなと思います。個人のホームページで盛り上がっていた環境とは明らかに違いますよね。時代そのものがネット時代になったというのもあるのかな。YouTubeは見るけどTVは見ないなんて声がよく聞こえるようになってきて、それと同じ流れなんだと思います。成熟と言いましたけど、形としてはむしろこれからなんじゃないですかね。

 

──小説における新しい選択肢の一つという感じでしょうか。

 

鏡:そうなると思います。無料で始まって応援したい人が本を買うという仕組みも非常にクリーンですよね。僕は先ほど言ったように公募ガイド買って、順番に投稿してその結果を待ってという、応募をして受賞したらプロになれるんだ! というワクワク感の経験者ですから、その感覚が低くなってしまうのは少し寂しいという思いもありますけどね。とはいえ、賞からデビューしたプロ作家という立場として言えることとしては、受賞=プロでもないんですよね。その作品が読者から愛されて支持してもらえてはじめてプロなんですよね。僕は、龍皇杯という読者による人気投票企画で1位をもらえた。『終わりのセラフ』では読者アンケート1位発進をすることができた。僕が自分をプロとして活躍できていると言っていいのであれば、そういう結果があってであって、受賞=プロとしての活躍の約束ではなかった。だから、今のWeb小説の形を、誰でもエントリーできる龍皇杯がはじめから存在するようなものだと考えれば、これはなかなか敷居が低くて素晴らしいなと思います。僕もデビュー前だったらやっていたと思いますよ、WEB小説。

 

──昔は、小説を書いて読んでもらうこと自体のハードルの高さがあって、Web小説がそのハードルを下げてくれた側面もあると思うのですが、いかがでしょうか。

 

鏡:そうですね。凄い下手なのに、でも面白いじゃんって人気を獲得して出てきてしまうなんて良さもあると思うんですよ。少し前の時代だと、自費出版も同じ流れだったんじゃないかな。自費出版出身でベストセラー作家になった方もいますが、担当編集がいてプロの校正が入ってでデビューした作家と比較して、自費出版出身は下手だ。そういう声はあった。でも面白かったから売れた。そうして経験を積んでいくうちに上手い下手での差はなくなっていく。そういったことがよりイージーに起こりうるのがWeb小説なんじゃないでしょうか。

 

──上手いと面白いが別の軸になっていく流れという感じでしょうか。

 

鏡:ただ、選別されていないことでの不利もあると思います。人気のあるカラーが固定化してしまった時に、脱却しづらいんじゃないかなあ。どうしても人気が出るとジャンルとしてみんながそれを真似してしまうわけで、出版社の新人賞なんかは、そういったものを選別する役目を持っていたと思うんですよ。というのも、僕は富士見書房に送った女の子の一人称作品が受賞したわけですけど、実は僕の時代って女の子の一人称という時点で落とされる時代だったらしいんですよね。あまりにも偉大な、女の子一人称作品が大ヒットしていましたから。

 

──『スレイヤーズ』ですか。

 

鏡:当時の富士見書房には、『スレイヤーズ』にはなれない縮小再生産とでもいうような作品の応募が本当に多かったらしくて。僕が受賞できたのは、面白さや文章力などを評価してもらえたという部分もあるのかもしれないですけど、こいつ絶対スレイヤーズ読んだことねえなって即座に思われるほどに違うものだった、というのもあるみたいです(笑)。そういう選別というかフィルターですね、それがないことへの不安はあると思います。でも、読者の多様なコンテンツを見たいという欲求は変わらないだろうから、Web小説でもある日突然違うカラーが飛び出てきて……みたいにはなるのかな。それは凄い面白いことですよね。

 

──Web小説投稿サイトも数が増えてきて、サイトごとに個性が生まれる時代が来ているとも考えていますし、実はそれを目指している意図もあります。

 

鏡:それは非常に面白いですね。僕も書こうかな。バディもののホラーミステリーとか。Web小説、これからの未来がありそうですよね。楽しい時代にになりました。これはカクヨムという小説投稿サイトさんのインタビューということで、まずはカクヨムさん、期待しています!!

 

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[鏡貴也]

2000年に『武官弁護士エル・ウィン』で第12回ファンタジア長編小説大賞準入選を受賞しデビュー。その後『伝説の勇者の伝説』『いつか天魔の黒ウサギ』を執筆し、いずれもTVアニメ化を果たす。また、2012年からは漫画原作を手がける『終わりのセラフ』が連載開始。本作も2015年にTVアニメが放送された。

オフィシャルサイト「鏡貴也の健康生活」

【カクヨム・作家インタビュー企画】 VS 入江君人先生

 

【カクヨム・作家インタビュー企画とは】

Web小説投稿サイトという場所で小説を書いてみたいと思う人へと向けて、第一線で活躍する作家にインタビューを行い、どういうきっかけで小説を書き始めたのか、今現在はどのようなスタイルで執筆をしているのか、Web小説というものに対してどのような思いを抱いているのか、などを語っていただきました。

 

今回お話を伺ったのは、2009年の「第21回ファンタジア大賞」大賞受賞作『神様のいない日曜日』でデビューされた、入江君人先生です。ご自身の創作についての話はもちろん、かねてより関心が高かったというWeb小説について、ストレートにお話しいただきました。

 

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──まずは小説を書こうと思ったきっかけを教えてください。

 

入江君人(以下:入江):23歳くらいのころでしょうか。当時僕は相当ちゃらんぽらんな生活を送っておりまして、将来設計などなく、むしろいかに人生を破壊するかみたいな行為にはまっていたんです。そのときにふと「小説を書く最後のチャンスかもしれない」と思って書き始めました。

 

──特別な理由やきっかけがあったわけではなくですか?

 

入江:そうですね。人生のなかでなにかが熟成されていって、当時はじけたという感じです。その部分に関しては再現性はないと思われます。じゃあなんでそんな人間でも小説がかけたかというと、やっぱり近所にあった図書館でひたすら本を読んでいた経験があったからでしょうね。

 

──少年時代からかなりの本を読んでいたということですか。

 

入江:今思えばそうですね。その図書館は当時としては珍しくライトノベルや漫画をたくさんそろえていたところで、一人で買い揃えるのはちょっと無理だなというシリーズや普通だったら小学生の目に入らないような古い本も読むことが出来ました。

 

──印象に残っている作品などはありますか。

 

入江:これは図書館ではなく友人宅でのことですが、そこで読んだ『ベルセルク』はかなり衝撃的でした。友人がゲームしてる横で読み続けて、帰る頃にはフラフラになっていました。あれのおかげで僕は物語の『毒』を知ったように思います。それ以降ですね、青年誌やライトノベル以外の小説を読むようになったのは。

 

──ライトノベルで影響を受けた作品を一つ挙げるとしたらどうですか。

 

入江:やはり『スレイヤーズ』でしょう。

 

──『神さまのいない日曜日』も女の子が主人公の作品ですね。

 

入江:そうですね、そこは影響というか似た部分かもしれません。ただアイが女の子になったのは作中のギミック的に父子よりも母子の生き別れがやりにくかったからという単純な理由だったりもします。

 

──はじめて書いた小説だったのでしょうか。

 

入江:完成させた長編という意味では1作目ですね。実は最初に書こうとした物語が別にあるのですが、そちらは原稿用紙で500枚を超えてしまって破綻してしまったのです。なのでまずは1作、完結させるために短編を書いて、それから『神さまのいない日曜日』を書き上げました。そういう意味では3作目になりますね。

 

──結果としてファンタジア大賞に応募されたわけですが、どんな理由だったのでしょうか。

 

入江:図書館で読んだライトノベルはファンタジア文庫が一番多かったんですよね。『魔術士オーフェン』や『フルメタル・パニック』や『封仙娘娘追宝録』がとても好きでした。ただ、電撃もスニーカーも好きだったので、応募するならその3つのどれかだなとは思っていました。その中でファンタジア大賞が締め切りのタイミングが一番よかったので取りあえず送りました。当時は次の作品も書き始めていたので、書き上がったタイミングで締め切りが近い賞に送ればいいだろう、と思って順次送っていました。

 

──ということは、他の作品を他の賞に投稿したりもしていた?

 

入江:当時のファンタジア大賞は選考期間が長くて、後に送った作品の結果が先に出たりなどもありました。逆にファンタジア大賞での受賞が決まったので、選考途中で辞退を申し出た賞もあります。

 

──もしかしたらダブル受賞なんて可能性もあったわけですね。

 

入江:どうなんでしょうね。そちらの話はメタフィクションでして、主人公が自分が描かれてる小説の原稿を破るというシーンを表現するために、実際に原稿用紙を破った状態で出版社に送ったりとかもしていたんで。今思えばレギュレーション違反だったんじゃないでしょうか。

 

──『神さまのいない日曜日』の執筆において影響を受けた作品などはありますか。

 

入江:ある映画を見ていて、その主人公とまわりの状況を真逆の世界の話を作れるんじゃないかなって思ったんです。それでいろいろと設定をこねくりまわしていたら世界観が生まれて、合わせて登場人物を配置して物語を作りました。そういう意味では、『神さまのいない日曜日』の世界観はミステリーのプロット的なやり方だったかもしれません。

 

──プロットという言葉が出ましたが、新作を書く際にプロットは作りますか。

 

入江:うーん、場合によりますね。プロットって基本的に『自分用の物語設計書』と『他人に見せる企画書』の二つがあると思うんですけど、後者は最近つくらないことも増えました。

 

──最近作らなくなった理由はあるのでしょうか。

 

入江:担当さんとの意思疎通が進んで、一言で通じることも多くなったからですね。『王女コクランと願いの悪魔』も、口頭で「これこれこんな話を考えてます」と言っていたら「じゃあそれ行きましょう」という感じでした。実際のところ、そうやって一言でおもしろいと思わせる話を広げていく形が理想だと思います。ただ、『自分用の物語設計書』は今でもかならず作っています。

 

──まだ小説を書いたことがないという人に向けての、プロットに関するアドバイスなどはありますか。

 

入江:最初はプロットなんか書かずに初期衝動のままに書き殴っちゃってもいいと思うんですが、それでも強いて言えば『書きたいシーン』をメモしておくことですかね。小説って書いているうちにぶれてしまったり、迷いが生じる事が多いので、そういったときに優先順位を確認できるようにしておくといいですよ。

 

──なるほど。入江さんの場合、シーンは映像で浮かぶものですか。それとも文字で?

 

入江:いろいろです。映像だったり、キャラクターの顔もないままになにかが進行していくところだったり、自分でもわけのわからない忘れかけた昨日の夢みたいなあやふやなものだったりします。

 

──これは個人的な印象なのですが、入江さんの作風としてミクロとマクロが直結しているという部分があると思います。そういった制作過程から生まれる作風なのかもしれませんね。

 

入江:僕、人間というちっぽけなミクロと壮大な宇宙的マクロは、それでも絶対につながっていると思っているんです。ですが、それは確信というほど強い思いでは無くて、そうあって欲しいという祈りに近いものなんです。人間というミクロの視点からみたマクロはあまりに広大で、なにかを確信することはとてもできませんから。実のところ、その部分は入江君人という作家の強みでもあれば弱みでもあります。たとえば『王女コクランと願いの悪魔』は現代の女子高を舞台に、現代風足長おじさんというような形でも書けたかもしれない。でもそういう風にはできないしやりたくない。入江君人という名前で書き続けることで、この名前で書く小説は『こういう物語』であるというようになっていく部分がどうしてもあった、読者がそれを求めていることも伝わってくる。それを苦しく感じた時期もありましたが、最近は開き直っています。

 

──ビルの立ち並ぶ中で見上げる空と、人の建てたものが何もない草原で見上げる空は同じ空だけど、違う空に見える。そんなことをふと思いました。

 

入江:同じ物を見て違う事を感じたり、違うものを見て同じ事を感じるというのは、きっと物語の最小単位なのでしょうね。いまの話で思い出しましたけど、シリアに旅行した時に見た夜明けは、ちょっと意味が分からないくらい記憶の中に残ってますね。そういう特別な思い出を、子供時代に当たり前だと思って過ごしてきた風景で漉してみたときに、ちょっとなつかしかったり変な匂いのする物語になったりするのかもしれません。

 

──海外旅行の話が出ましたが、趣味はありますか。

 

入江:今は釣りですね。これは随分昔、それこそ高校時代に部活にまで入ってやっていた趣味だったんですが、成人してからぱたっとやめていたんですよ。それがひょんなことから再開したら、ああいいなあっと。海外旅行は趣味というほどではないですね。親戚にメキシコ人がいたり、旅行関係の仕事していたりするので、その縁で海外には何度か行きましたが、僕自身はあんまりです。あとはもちろん読書ですね。漫画、小説はもちろんですが、ここ数年はネットの創作にどっぷり浸かっています。

 

──入江さんはWeb小説にも造詣が深いことで知られていますが、Web小説との出会いはどういった形だったのでしょうか。

 

入江:これは明確に橙乃ままれさんの『ログ・ホライズン』でした。『まおゆう』の次作品ということですぐに読みに行った覚えがあります。

 

──Web小説という世界に対する印象はどうでしたか。

 

入江:Web小説というか、この場合は『なろう小説』ということになるのですが、確かその時に『ログ・ホライズン』はランキング10位以下だったんですよね、それで「あれより面白いのが10もあるのか!?」 と驚いて一通り読んでみたんです。そうしたら魔法科以外はあまり面白くなくて、というかそれ以前に意味が分からなかったんですよ。まあ、そのときはランキングの仕組みや、なろう小説という世界観も知りませんでしたから当然なんですが。それでも悶々としながら読んでいるうちに、なぜかだんだんと面白くなっていって、友人と語ったり同人誌つくったりしているうちに、あれよあれよと世間からも注目されるような状況になっていました。今現在の印象というのであれば、本とは似て非なる新しい創作の場、という感じでしょうか。

 

──これからのWeb小説はどうなっていくと思いますか。

 

入江:ひとまず今の段階で、Web小説はだいぶ良い発展をしたと思います。昔、それこそインターネットが本当に原っぱだったころは、たとえば砂遊びをしたいと思ったら岩を砕いて砂を作るところから始めなければならなかったですし、出来上がった創作物を見てもらうのにも相当な苦労が必要だった。それが『砂場作ったよ』とか『みんなが作品を見やすいようにしたよ』という人たちのおかげで、砂遊びの才能はあるけど岩を砕く力は無いという人や、単純にそこまでコストをさけなかった人たちが、巨大バケツを振り回して城を作ったり。思いも寄らない砂の使い方で傑作を作りだしている。これが現在のWeb小説界隈だと思います。これからしばらくの間Web小説はこういった『取りこぼされてきた創作』を拾い上げて大いに発展していくでしょう。ただ現状では、それらの発達を支える『場』に限界がきていて、次への成長が滞っているように感じます。これはクリエーター側でどうこうできることではないので、編集さんや企業にがんばって欲しいなと思っています。『なろう』が砂場だとして、たとえば野球場やレース場を作るのでも構わない。もっと言えばそれら全部がある総合テーマパークを作る。そういった『創作』が受け入れられる時期だと思います。

 

──エンターテインメントとしてのさらに先ということでしょうか。

 

入江:やってること自体は、それこそたき火囲んで神話を語ってた頃とあまり変わってないとおもいますよ。、語りがうまい人もいれば、集会場作る人やたき火あつめてくる人もいる。それでもジワジワと前へ進んでいって、ある日がらりとすべてが変わってしまったりする。それこそ印刷が発明されて小説が生まれたり、フィルムが出来て映画が撮られるようになったように、Webは新たな創作媒体になっていくのでしょう。願わくば、僕も僕自身とその新しい場所を融合させて新たな創作物を作り出せたらなと思います。

 

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[入江君人]

2009年、第21回ファンタジア大賞で大賞を受賞した『神さまのいない日曜日』でデビュー。同作はその後、TVアニメとなったほか、角川文庫でも刊行された。近刊は、『王女コクランと願いの悪魔』(富士見L文庫)。こちらも版を重ねながら2巻まで刊行中。

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